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エッセイ

webページ用に書き下ろした(出版されていない)エッセー、写真とともにラオスを紹介した文書など、私がwebページを開設した時から少しずつたまっているものをここにまとめました。最近は忙しくて原稿以外の雑文を書く時間が取れない状態が続いているので、更新を期待しないでください。

線香と東南アジアの森林

書き下ろし、2009年(名大環境学研究科Webページ「環境学と私」から転載)

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  今この原稿をラオスで書いています。ラオスには、タブノキという木とそれを採取する住民を調査するために来ています。

  タブノキは、クスノキ科の常緑広葉樹で、日本を含め、東・東南アジアの照葉樹林帯に広く見られます。その葉と樹皮は、粘性が強く、燃やしても香りがありません。この特徴を活かし、それを粉にした「タブ粉」が線香(匂い線香や蚊取り線香)の粘結剤として古くから利用されています。1960年代まで、九州では大量のタブノキが里山で採集され、それを水車で製粉していました。しかし、山村の生業構造の変化と高齢化の進展によって、タブノキを採集する人が激減しました。そして1970年代から、東・東南アジアよりタブ粉が輸入されるようになりました。現在、九州で残っているタブ粉製粉場は2軒しかありません。貿易統計では、毎年4~5千トンもタブ粉が輸入されています。現在使われている線香の約半分は輸入品なので、海外で使われているタブ粉を加えれば、日本で消費される東・東南アジア産のタブ粉は相当な量になります。

  こう書くと、「お線香を焚くと東南アジアの森林を燃やしている」と思われるかもしれません。しかし、これを単純に森林減少という環境問題と結びつけるのは早急すぎます。今回のラオスでのフィールドワークでは、住民が林産物仲買人の指導を受けながら、水田脇などの使われていないわずかな土地にタブノキを植林して、樹皮の1/3だけを採取して木を枯らさないように工夫し、持続的に樹皮を採取していることが分かりました(写真1)。それは、住民の現金収入源としても大きく貢献しています。ただし、昔は持続的に樹皮を採取する方法を知らなかったので、自生していたタブノキは伐採してしまい残っていないということです。

  持続的なタブノキ樹皮の採取、そして環境を破壊しない植林の方法の確立が必要です。そして、タブノキのような木本樹皮に代わる粘性のある草本類の利用も考えなければなりません。この調査は、日本の線香製造企業とも協力しながら進めています。単に森林減少を引き起こしているから、海外でのタブノキ樹皮採取は中止すべきだという考えでは、日本から線香が消えてしまいます。現地の人々の収入源としても機能しながら、森を維持し、そして日本の伝統的な線香を守ることを目指します。そもそも、日本の里山利用の減少が原因で、国産タブノキでのタブ粉生産ができなくなり、東南アジアからタブ粉を輸入するようになったので、日本の里山利用を考え直すことも必要かもしれません。線香という意外なモノから、環境問題の複雑さが見えてきます。

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少数民族の村の観光化

書き下ろし、2001年

ムアンシン

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  中国と国境を接するラオス北部ルアンナムター県は少数民族の宝庫である。世界中から少数民族をみる観光客がやってくる。その中でも特にムアンシン(Muang Sing)は有名である。

  最初にムアンシンに行ったのは1993年だったが、宿は一軒もなかった。わずか数年の間にムアンシンはすっかり変わり、単なる農村だった町が、一大観光地となった。メインストリートには西洋人と日本人だらけ、そしてその観光客を取り囲むようにアカ(Akha)族とタイダム(Tai Dam)族の物売り。あの静かなムアンシンはどこへ行ったのだろうか。

  観光化のインパクトを調査するために、ヤオ(Yao)族、アカ族、タイルー(Tai Lu)族、タイダム族、モン(Hmong)族の村落を訪れた。民族によって観光化への対応が大きく異なっていたことが印象的であった。ヤオの人たちは、あまり気にしていないという感じ。それに対してアカの人たちは、色々と問題を抱えていた。

  例えば、アカ族の村の入口には、宗教的に意味のあるゲートがある。それは、住民さえも触れることが出来ない。もし触れれば「鶏2羽、お金5,000kip、お酒1瓶」を村の長老(ネオホム・バーン)に支払い、再度お祈りを捧げなければならない。そういうゲートに何の躊躇もなく西洋人は触る。知らなかったことを言い訳に、何の償いもしない。文化的な知識がないことは観光客の武器と考えてよいのだろうか?  少数民族の文化や習慣を理解しないで、少数民族村落に入り込む観光客に村民も戸惑う。

  ルアンナムター県では、こうした事情を察し、県内57村落から代表者を集めて、「何が問題か?」を話し合った。その結果として、観光客に知らせたい文化的習慣やタブーを英語とラオス語のポスターとして、県内全観光施設に張り出すことになった。私が宿泊していたゲストハウスにもそのポスターは貼ってあった。しかし、効果のほどは疑問である。

タイのモン族

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  話は変わって、ムアンシンを調査した同じ年に、2週間の休暇を取ってタイのチェンマイ、プーケット、バンコクへ行って来た。

  チェンマイでは、1日トレッキング・ツアーに参加して、生まれて初めて象の背中に乗った。考えてみると、これまで数え切れないぐらいタイに来ているのに、今まで象に乗ったことが無かったのが不思議である。そして、象に乗った後は、歩いてモン族の村に行った。参加したトレッキング・ツアーにモン族の村への訪問も含まれていたのである。しかし、そのモン族の村に驚いた。そこには、ジュースを売る売店があり、クロスボー(弓矢)を試射させるブースがあり、様々な形で観光客からお金を取っている。村には、タイやラオスで大人気のHONDAの最新バイクが走っていて、ピックアップトラックもあった。ラオスのモン族の村とは全く異なっており、完全に観光化されていた。

  しかし、全世帯が観光化の恩恵を受けているとは思えない。多分、車やバイクを持っていて、近くの町まで氷を買いに行くことができるような世帯だけであろう。なぜなら、その町には電気がないため、トレッキング客に冷たいジュースや水をサービスするには、氷が必要なのである。

観光化-だれが得するのか?

  村まで行く途中、彼らの畑の中を通って行った。彼らはハイ(焼畑)で陸稲を植えていた。山岳民族のモン族は水田での耕作をしない。ラオスのモン族と同様である。私はモン語は話せないので、ラオス語訛のタイ語で彼らとわずかな話しをした。観光客がやってくるようになって5年経ったと言っていた。ラオスの山岳地域も将来的にタイのようになる可能性は否定できない。事実、ラオス北部では、そうなってきている。

  ラオス北部ムアンシンのアカの人たちは、観光客に村に入られて苛立つ反面、彼らにモノを売って、少なからずは収入を得ているのは事実である。そしてタイのチェンマイ近郊のモンの人たちの収入は、観光に大きく依存している。観光化自体には良い面も存在することは否定しない。しかし私は少数民族の村を訪れるような「見世物小屋的観光」に疑問を感じることがある。「結局、誰が得しているだろうか...」

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フィールドワーク

書き下ろし、2001年(ラオス留学中に執筆、2006年に一部修正)

川でおぼれかける

  首都ヴィエンチャンから約150km北に位置するヴァンヴィエン(Vang Vieng)というところへ調査に行ってきた。ヴァンヴィエンは、最近急激に観光化が進んだ農村である。街の中心部はラオ人の姿より西洋人や日本人のバックパッカーの姿の方が多いという『カオサン(バンコクの安宿街)状態』になっている。

  今回の調査は『農村の観光化』を時系列に明らかにし、また、典型的な稲作農村で観光化が進展した要因を明らかにしよう・・・という壮大な(!?)目的をもって現地に乗り込んだのだが・・・、川でおぼれかけて、大変な目にあった。

  その日は土地利用図作成のためにGPSを持って1日で35kmも歩いた日だった。おぼれかけたのは、その日の夕方。日焼けと歩き過ぎで体力が限界にきていたのだと思う。野菜畑の位置をGPSに記録させるために、対岸に見える中洲に渡る必要があった。今まで歩いてきた道をそのまま引き返して、竹の橋を渡って対岸の中洲へ行けば良かったのだが、道なき道を歩いてきたので、戻るのも面倒。しかも、川底が見えるので浅そうだ。「これなら渡れる」と思い、左手にGPS、右手に履いていたサンダルを持ち、中洲へ突進した。

  しかし、川底の石は、苔でヌルヌルしており、しかも、見た目より流れが速い。作業ズボンを股の位置までめくっていたのだが、どんどん深くなって、すでにズボンは濡れている。中洲の野菜畑で農作業していたラオ人が私を見ている。ここは「格好良く渡らなければ...」と思った瞬間、転んでしまった。

GPS Data

  皮肉なことに、GPSを持っていたため、この流された軌跡がきちんと記録されているのである。川の真ん中で、下流へ垂直移動(!?)したようなデータがはっきりと残っている...(苦笑)  GPSも一緒に川に沈んでしまったので、動作は問題ないが表示窓が割れてしまい、日中使っていると、表示窓が曇るようになった。ずっと見ていたラオ人には笑われ、ずぶ濡れ状態で街を歩いて宿へと帰った。本当に大変な調査だった・・・

  この川でおぼれかけた事を、当時私の指導教官だった齋藤功教授(現:長野大学教授・筑波大学名誉教授、元日本地理学会長)にメールで報告したところ、下のような返信が返ってきた。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という格言と「君子は危うきに近寄らず」とは表裏一体である。

  それにしても地理学者とは大変な職業である...。

調査地

  川で溺れかけながらも調査したヴァンヴィエンであったが、はじめから博士論文の調査とは考えていなかった。博士論文では山岳部を調査したいと考えていたので、地方の観光地を調査しながら、そのうち適当な調査地を見つけようと思っていたのである。そして、ラオスに来てから約半年経過してようやく調査地を見つけることができた。

  ルアンパバーン県ムアンゴイ郡ハートサー村というところに調査に行ってきた。ハートサー村への道のりは長い。まず、ヴィエンチャンからルアンパバーンまで行く。飛行機ならわずか1時間のフライトだが、バスだと丸一日かかる。そして、ルアンパバーンからバスで3時間半、ノンキアウというムアンゴイ郡の郡庁所在地に到着。そこからボートでウー川を上り、更に3時間半。そこが、ハートサー村である。ノンキアウからは道路がなく、アクセス手段はボートのみ。まさしく陸の孤島、本当の秘境である。

  こんな辺境に調査に行くことになったきっかけは、私の友人でSwiss Red Crossの医者のFredericというフランス人の紹介である。彼と世間話をしていて「ボートでしか行けない陸の孤島の山村に、3年前Health Centerを建設したんだけど、そこの村落は焼畑をほとんどしていない。当然、水田なんてない。村民みんなが商人で、林産物の仲介だけで生計を立てている。おもしろいところだから調査してきたら・・・?」というのが調査のきっかけである。

  まったく、地理学の調査地なんて、ひょんなことから決まるものだと自分でも思う。

  「調査地の決定って、こんな適当でいいの?」と思われるかもしれない。しかし、ラオスでは仕方ないという事情がある。色々なところに行きたくても交通手段がないところが多いからだ。調査地探しのために旅行なんてしたところで、結局、道路沿いの普通の村落しか見つけることができない。誰か行ったことのある人(当然、旅行者ではなく、ラオスで何らかの活動をしている人)から情報を得て、「ここだ~!」ってな感じで、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と祈りながら調査地へ向かう。これが、ラオスでの調査地決定方法かもしれない。

  結局、ここでの調査結果が博士論文となった。この調査地は、郡事務所のスタッフ、そして現地の人々も非常に協力的で、とても調査しやすかった。調査地に行く度に同行してくれた郡事務所のブンマーさんとは、今でも親しくお付き合いしている。調査地選定の方法はどうであれ、フィールドワークの成功を左右する鍵は、よい調査地を見つけることであろう。

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祭りの露天

書き下ろし、2000年(ラオス留学中に執筆)

  毎年10月(満月の日)、オークパンサーと呼ばれる仏教の安居開けの行事が行われる。ヴィエンチャンでは、同時にブン・ソン・フア(ボートレース)が開催され、メコン河沿いのファーグム通りとその通り沿いのワット(お寺)の境内には、何百という露天が立ち並ぶ。 露店を見ていると、なんだか20年ぐらい前にタイムスリップしたような懐かしい気分になれるので、ここで紹介したい。

食べ物

食べ物

  ファーグム通り沿いのワット(寺)の中でも、一番露店が多く出店されているのが、ワット・チャンタブリーである。かき氷やさんが、なんだかとても懐かしい。当然、手動の製造器である。手前のおばさんは、肉団子屋さん(ルーク・シン)。

  写真はないが、最も数の多い屋台は焼き鶏(ピンガイ)だと思う。また肉まんじゅう(カラパオ)屋さんも結構出ていた。出店の食べ物って、なんだか分からないけど、美味しく感じる。

玩具

玩具

  プラスチック製の買ってすぐに壊れそうな玩具が所狭しと並べてある。ほとんどが中国製である。いったい、こんなモノ誰が買うんだ...と思うが、結構売れていた。いくつか手に取って遊んでみると実は結構おもしろかったりする・・・。

  ラオス人も中国製の玩具なんてすぐ壊れると分かっているのだが、子供にせがまれるとつい買ってしまう。どこの国の親も同じである。よく見るとブリキの自動車なんかも売っている。もしかして、その手のマニアにはたまらないのかもしれない...。

ビンゴ

ビンゴ

  ワット・チャンタブリー境内の『ビンゴゲーム』。『ビンゴゲーム』とは、その名の通り世界共通の数字並べゲームのビンゴである。

  まず、お客は数字がランダムに並んだビンゴの紙を買う。透明な箱の中に番号が書かれたピンポン球がたくさん入っており、その箱は、エアーの力によって一個だけピンポン球が飛び出してくる仕掛けになっている。そして、店の主人がピンポン球に書かれた番号を、大きな声で読み上げ、客はその番号に一喜一憂するという、何ら日本と変わりない普通のビンゴである。

  何列か並べば、後ろにある商品がもらえることになっているのだが、これがなかなか並ばない。「おじさん、本当に○番の球入ってるの?」と疑うヒトも出てくる(笑)

スロット賭博

スロット賭博

  現金をそのまま賭けるという意味で『正真正銘の賭博』である。私はラオス人の友人から現金賭博は駄目だと聞いていたが、大々的に公共の場で営業していても何故か警察には捕まっていなかった・・・(それがラオスである)。

  お金を絵柄の上に置いて、スロットを回してその絵柄が出たら、何倍かになってお金が支払われるという単純な賭博。写真には写っていないが、この賭博を仕切っていたのは、10歳ぐらいの少女であった...(ラオスの将来はどうなるんだろうか?)

  このスロット賭博と同じようなルールの『サイコロ賭博』もあった。サイコロに絵柄が書かれており、その絵柄に現金を賭けるという単純明快なルールである。

回転木馬

回転木馬

  単なる回転木馬ではなく、『人力回転木馬!!』

  説明は必要ないだろう。まさしく、これぞ回転木馬っていう感じです。回転の最初だけ、おじさんがこの木馬を回す。あとは、木馬に乗っている子どもが、上下に身体を揺するだけ。かなり勢いよく回る。私は日本の遊園地にあるような電動の回転木馬しか知らなかったので、1992年にラオスでこの回転木馬をはじめて見たときはかなりびっくりした。きっと日本にも、昔はこういう回転木馬があったのだろう。

  けっこう楽しそうだったので、私もやりたかった・・・。(「大人が乗ったら壊れるからダメ」と断られるだろうが...)

???ゲーム

テニスボール入れゲーム

  これは、何て言っていいのか...? とりあえず『テニスボール入れゲーム』ということにしておこう。

  テニスボールを、仕切られた升目の中に入れるという単純なゲーム。升目の大きさはテニスボールがぴったり入る大きさである。簡単なように思えるが、これがなかなか入らない。私も、何度となく試したことがあるが、ボールが弾んで枠外に出てしまう。だけど、この写真の女性は、きちんと升目に入れて、「ナンプラー(魚醤油)」をもらって帰った。

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ロケット祭り -バンファイ-

書き下ろし、2001年(ラオス留学中に執筆)

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  4月のピーマイ(正月)前から5月の雨期に入る前までの約1ヶ月間、ラオスの村では、ブン・バンファイ(ロケット祭り)が行われる。4月上旬に知人が日本から来たので、ヴァンヴィエンへ一緒に行くことになり、その途中のポンフォン郡で、運良く道路沿いでロケットを担いでいる姿を目にすることができた。

  ロケットは、ワット(寺)でお祈りを捧げられ、火薬が詰められたロケットは、田んぼの中に作られた発射台からものすごい音と共に飛び立つ。日本のロケット花火の巨大版と考えたら良かろう。(日本なら、こんな危ない祭りは、絶対に禁止になるに違いない...)

  写真のロケットの右先端部に大量の火薬が詰まっており、それに着火して、天高くロケットを飛ばすのだが、たまに事故も起こるらしい。この写真は、村に幾つか存在するグループうちの1つがロケットをお披露目をしているものである。この時、ロケットを担ぐのは男性の役目である。男性は何故か、口紅やファンデーションを塗り化粧をする。そして、スカートを着用し、いわゆる「オカマ」の格好で、太鼓を叩き歌いながらストリートを歩く。

オカマ

  男性が女装をするのに対し、女性は何だか分からない変な格好をする。女性の共通点は、サングラスをかけ、派手なメークをすることである。時には、男性器を模造した木の棒を持っており、写真の女性が持つ物は、なんとちゃんと「オシッコ」まで出る。

  私は、その正確な起源や意味は調べていないが、以前、ヴィエンチャン郊外のブン・バンファイを見に行ったときに住民にその意味を尋ねたところ、「雨期前に、豊作を願って雨乞いをするための祭り」だと言っていた。

  ロケットを飛ばして空に穴を開けて、雨を降らそうという考えなのだろうか? しかし、男性が女装したり、女性が男装したりする意味は、未だに良く分からない。

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ラオスの陸路移動

書き下ろし、2001年(ラオス留学中に執筆、2006年に一部修正)

  ラオスでは鉄道が敷かれていないため、移動はバスか飛行機かの選択となる。当然、飛行機は値段が高いため、私みたいな貧乏研究者は、必然的にバスを移動手段として選択する。

  乾季なら埃まみれになって、到着地のゲストハウスに着いてシャワーを浴びた時に、自分の身体から流れてくるあの茶色い土埃。そして雨季なら容赦なくバスの中に降り注いでくる雨でびしょびしょになるあの不快さ。ラオスの陸路移動は、まさしく苦痛との戦いである。

土砂崩れ

土砂崩れ1

  ラオスの背骨と言われる、ルアンパバーンからサバナケーットまで貫く国道13号線以外は、ほとんどが簡易舗装で、舗装は剥がれ、穴ぼこだらけである。雨季になると道路はぐちゃぐちゃになり、加えて土砂崩れが発生し、国道と称されるような主要道路でさえ、通行不可能となるところが多い。最近、ラオス北部は中国の援助でかなり道路自体は整備されている。しかし、雨季の土砂崩れだけはどうしようもない。

  2001年の留学中、ある旅行ガイドの仕事でラオス最北端のポンサリーへ行った。取材費があったので、ウドムサイでポンサリーまで行ってくれる車を探したのだが、雨季ということで車のチャーターを断られてしまい、仕方なくトラックバスでウドムサイからポンサリーへ向かうことになった。雨季はお金をもらってもポンサリーへは誰も行きたがらないということなのだろうか? そのときは、何とウドムサイからわずか200kmあまりの道のりに18時間もかかった。ポンサリーに着いたのは夜中の2時・・・。当然、どこの宿も空いておらず、凍えながらトラックの荷台で寝た。

バス迂回

  18時間かかった原因は土砂崩れ。1枚目の写真は、最初に遭遇した土砂崩れである。みんなで力を合わせて、木を切り開いて横に新たな迂回路を即席でつくって脱出した(2枚目の写真)。これに要した時間が4時間。しかし、この直後、また土砂崩れに遭遇(3枚目の写真)。この大きな木と土砂を取り除く作業に約1時間。結局、ウドムサイからポンサリーへの移動中に出くわした土砂崩れは合計4ヶ所であった。もう雨季のラオス移動はこりごりって感じである。なんと、2回目の土砂崩れを突破した後、私のデジカメは壊れてしまった。でこぼこ道の振動でシャッター部品がおかしくなったようである。(銀塩アナログの一眼レフカメラを2台持っていったので取材には問題なかったが...)

  日本人にはあまり理解できないだろうが、ここラオスでは、雨季になると陸路の移動が極めて困難になる。何十ヶ所もの地点が、陸の孤島となるのである

ラオスのバス

バス

  ラオス北部の一般的なバスがこの中国製トラック“LANJIAN”である。「これがバスか?」・・・と思うかもしれないが、これがラオスのバスである。荷台に板が敷いてあり、そこに座る。公称25人乗りの政府公認の移動手段である。これは、大型の部類で、さらに小さな軽トラのような中国製トラックやトヨタのピックアップトラックの荷台を改造したバスもある。日本製のトヨタだからといって乗り心地が優れているというわけではない。なぜなら、荷台に敷かれた板の上に座らなければならないからトヨタだろうが、中国製のLANJIANだろうが結局は同じだ。

  最近、ヴィエンチャン近郊では、韓国製の中古バスがよく使われている。いずれにしろ、どのトラック・バス共に、整備パーツの値段が高いため、あまり良い状況にない。ツルツルのタイヤで走行するため、雨季には事故も頻繁に起こる。

  土砂崩れ、最悪の乗り心地、何一つ良いところがなさそうなバス移動だが、唯一楽しい事がある。それは、乗客とのコミュニケーションがとれることである。無口で黙っている人なんて誰もいない。みんな話しかけてくれるので退屈はしない。ちょっと大きな町に停まれば、必ず物売りがやってくるのだが、乗客はその物売りから、果物やらお菓子などを買う。そして、その買った食べ物は乗客みんなで分けて食べるのだ。一人でこっそり食べようなんて人は誰もいない。必ず「おまえも食べろよ・・・」と言って差し出してくる。

  私がこのバスに乗った7月は、どこでもキュウリを売っていた。みんなでバスの中でキュウリを頬張る。水っぽいキュウリだが、どことなく甘い味がした。

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ラオスの商業伐採

書き下ろし、2001年(ラオス留学中に執筆、2006年に一部加筆)

  ラオスは国土の80%が山岳地帯である。当然、山には木が生えており、国土の40%強は森林によって覆われている。

ラオスにおける樹種は広葉樹が多い。代表的な広葉樹は、いわゆる樹高が高く板根の、いかにも熱帯という様相のフタバガキ科(Dipterocarpus)の樹木(D. Shorea, D. Terminaliaなど)である。しかし、中北部高地には針葉樹も見られ、マツ科(Pinaceae)のメルクシーマツ(P. merkusii)やカシアマツ(P. kesiya)なども一般的に見られる。そして、最近になって伐採が進むようになったのは、「ラオス檜(ひのき)」と言われるフッケンヒバ(Fokienia hodginsii)の亜種である。

  ヴァンヴィエンに行く途中のヴィエンチャン県のある箇所で、何十台ものラオス檜を運ぶトラックに遭遇した。ラオス檜は、未だ養苗技術が開発されていない。したがって、伐採されている樹木は全て天然木である。

地域開発公社

  ラオスでは、法的に土地区分で荒廃しているもしくは利用価値がない森林とされている箇所以外での木材伐採は禁止され、丸太の輸出も厳しく規制されている。しかし、木材製品は国家歳入の4位を占めている。ということは、どこかで商業伐採が行われているのである。

  ラオスでの商業的木材伐採は、国防省の関連組織として位置づけられている地域開発公社が、その権利を握っている。伐採される森林は、「(一応)ダム開発予定地で、森林はダムに埋もれてしまって使い物にならないから、今のうちに木を切ってしまおう!」という名目で、大面積の伐採が行われている。

木材輸送トラック

  地域開発公社は、ラオスに多数存在し、その中でも、大規模で最も力を有しているのが、ボリサット・パッタナー・ケート・プドイ(BPKP: 高地開発会社)である。地域開発を担っている会社ということで、木材伐採収入は、地域開発のために発電施設を建設するなどの事業を行っている。

  地域開発のために使用されるとしても、ラオス檜を乗せたこれだけの数(写真には写っていないが、道路の両脇に10台以上・・・)のトラックを見ると、これでいいのかなぁ~と思うのは私だけではないであろう。しかも、何故かこの場所はJICAの植林プロジェクト・オフィスの前なのである。何で、植林プロジェクト・オフィスの前で伐採した木材を見せるように休憩するんだろうか? いずれにしろ、私はヴァンヴィエンの調査に行く度に必ず目にする。ということは、かなりの頻度で運ばれていると考えられる。

フッケンヒバ

フッケンヒバ

  写真には、"C. C. I. IN TRANSIT FROM LAO P.D.R. TO TAIWAN VIA NONGKHAI/BANGKOK (THAILAND)"との刻印が押されている。

  最初のC. C. I. は意味がよく分からないが、このラオス檜の大木はメコン河を挟んだヴィエンチャン対岸の町、ノンカイからバンコクを経由して台湾に運ばれるらしい。何故台湾なのか・・・?

  私も調べていないので、はっきりしたことは言えないが、さまざまな噂では、台湾で使用されているのではないらしい。日本では、優良材として台湾檜が良く知られており様々なところで使用されているが、どうも、このラオス檜は台湾を経由して、台湾檜として(本当は、ラオス檜なのだが・・・)日本に輸出されているという話である。要するに、ラオスの木材伐採には、タイと台湾の企業の他に日本の企業がラオスの木材伐採にも関与していることは間違いないであろう。

  Googleで“ラオス”、“檜”で検索をかけると色々と出てきた。Yahoo! Auctionsにも無垢材が出品されていた。そして、お寺や神社以外にも、一般住宅の床材(なんと贅沢な...)にも使われているらしい。養苗技術がまだ開発されていないラオス檜に代わって、日本の林業のことも考え、国産材を使うようにできないものかと真剣に思う。

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