研究の背景

グローバル・スケールでの人口動態

人口増加に資源(=食料)供給が追いつかず、やがて人口を抑制する戦争・病気・飢餓などの「チェック」が生じると予想したマルサスに対し、人口圧が高まると、農業集約化(休閑期間短縮)が進むと説いたのが、ボズラップです(Boserup 1965)。農業集約化に伴い、生産量は増加するが、労働投入量も増加するため、農民が労働生産性の高い焼畑から土地生産性の高い水田などの農業に転換するという単純化した理論には反論も見られます(たとえば、Brookfield 1972など)。しかし、地球規模で過去数百年間の土地利用と人口変化を解明したEllis et al. (2013)は、人口が指数関数的に増加しているにも関わらず、様々な技術革新(レジームシフト)で困難を乗り切ってきた人類の歴史は、ボズラップ理論の正当性を裏付けるものだと主張しています。

小規模社会集団の現実

確かにグローバル・スケールでは、農業技術の発展によって、増え続ける人口を十分に支持できる食料が得られていることは否定できません。しかし、Hazell and Rahman eds. (2014)によると、世界の4.5億の農民は、2ha未満の農地しか持たない小農で占められていると推計しています。小農らが生きる小規模社会では、経済的な利益最大化とは異なる習慣・伝統などの規範のもとで人口動態と食料獲得の関係が決定しているのです。新興国・途上国で世界人口の多くを占めており、それらの国々の小規模社会の動態把握が人口を扱う学問分野の関心を引いているのですが、統計未整備地域では詳細な検討が出来ずに現在に至っています。そこで本科研プロジェクトのメンバーは、平成25年度からPrelic 1を開始し、ラオス中部の水田農村と焼畑農村の2つの小規模社会での人口と生業の動態を過去に遡って解明する研究を実施してきました。

水田農村では、過去約100年に遡って、人口と水田面積を復元しました。その結果、村内の水田はすでに1960年代後半には、ほぼ開田が終了していたのですが、人口増加は2000年まで続いていたことが明らかになりました。住民は、村内の水田適地の開田が終わると、近隣村落から水田を購入し始め、人口増加によって不足する米を確保する努力をおこなっていました。1980年代になるとバンコクへの出稼ぎが急増し始め、そこで得たお金の多くが水田購入に充てられたと考えられます。また、2000年以降の出生率低下の原因は、家族計画と医療・公衆衛生の普及のみならず、若年層の出稼ぎによる晩婚化も関係していました。

一方の焼畑農村では、全住民を対象にしたライフヒストリー調査によって出生力動態を復元した結果、1960年代から現在まで一貫して低出生力の状態が持続しており、とりわけ30歳代後半女性の出産期後期以降の出生率が低いことが明らかになりました。低出生力の要因を探るため、年間を通した食事および食料獲得活動に関して約5,000件のデータを得ました。その結果、住民が自然資源を利活用し、季節ごとに多様な食材を摂取している一方で、低栄養の食事と食料獲得に関わる活動量が出産期女性の低体脂肪に結びつき、低出生力が持続している可能性が示唆されました。

Boserup, E. 1965. The Conditions of Agricultural Growth: The Economics of Agrarian Change under Population Pressure. Chicago: Aldine. [ボズラップ, E. (安沢 秀一, 安沢 みね 共訳) 1991.『人口圧と農業―農業成長の諸条件』ミネルヴァ書房.]

Brookfield, H. C. 1972. Intensification, and disintensification in Pasific agriculture: a theoretical approach. Pacific Viewpoint 13(1): 30-48.

Ellis, E. C., Kaplan, J. O., Fuller, D. Q., Vavrus, S., Goldewijk, K. K. and Verburg, P. H. 2013. Used planet: A global history. Proceedings of the National Academy of Sciences 110(20), 7978-7985.

Hazell, P. and Rahman, A. eds. 2014. New Directions for Smallholder Agriculture. Oxford University Press.

プロジェクト準備

これら2つの小規模社会集団を対象とした研究から非常に興味深い結果が得られました。1点目は、ボズラップの理論とは異なり、人口増加に対して農業集約化ではなく、出稼ぎを契機にした水田購入や人口抑制で対応していることを明らかにした点です。すなわち、従来の研究がもっぱら土地・食料だけを資源として扱ってきたのに対し、商品経済化以降は、そこに貨幣や出稼ぎ労働力という新しい要素が付け加わり、人口と資源の関係がより複雑化している状態を捉えることに成功しました。2点目は、これまで十分に検証されていない小規模社会の低出生力の近接要因を明らかにし、ボズラップの理論に欠けている「人口の再生産に影響を与える内的要因」を説明することができた点です。これらの研究成果は、国内外の学術学会で17本の発表を行い、多くの反響を得ました。しかし、これまでの研究を土台にして、現在の研究テーマをさらに発展させる必要性と解明すべき研究テーマが新たに生じたため、Prelic 1を引き継ぐプロジェクトとして、本科研プロジェクトを実施する運びとなりました。

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研究目的

本科研プロジェクトの研究目的は、事例地域とするラオス農山村における人口移動、生業、食料獲得、家族計画から小規模社会集団の人口動態メカニズムを解明することです(右図)。Prelic 1で実施したラオス中部のメコン川低地に立地する集落内には多くの出稼ぎ労働者が存在し、それが人口動態・再生産・生業の変化に大きく影響していました。出稼ぎを中心に、人口動態、出生力低下、生業の関係性を解明したのですが、各要因間の関係性の解明を重視したため、人口、再生産、生業の個別テーマに関しては、より掘り下げて調査を行う余地が残されています。また、焼畑農村の調査では、人口変動や生業変化といった時間軸を基本にした動態よりも、生存に必要な食料の獲得に重点を置いた調査が必要とされることが明らかになりました。そして、Prelic 1で得られた人口と資源との関係性を一般化するには、社会経済条件の異なる地域の人口動態と比較した検証が不可欠という結論に至りました。そこで本科研プロジェクトでは、調査地域を国外出稼ぎが多いラオス中部に加えて、国内移動が多い北部を調査地に加えて調査を行います。

研究の意義

すでに得られているラオス中部の研究成果(人口動態と生業変化の関係)を土台として、出稼ぎなどの人口移動、民族による再生産の相違、さらには食料獲得のための時空間分析を行う研究視点が本研究の特色です。特に個人レベルでのデータ分析を複数の小規模社会集団で比較検討する研究はこれまで世界的にも例がありません。

小規模社会集団の個人レベルのデータは、より上位の集団レベルのデータに容易に接合することができるため、本研究はラオスの地域研究の成果として貢献するのみならず、幅広い応用も期待されます。さらに本研究で実施する出稼ぎ、生業、食料獲得、家族計画に関する詳細な調査結果は、Prelic 1で重視した地域研究の成果として貢献する総合的な地域理解を越えて、地理学、文化人類学、保健学などの専門分野にも成果を還元できる点に大きな研究の意義があります。

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研究方法

総合的視点を重視しつつも個別テーマをより深く掘り下げることができるように、人口移動、生業、食料獲得、家族計画の4つの研究テーマを設定し、それぞれを研究班として組織します。そして、テーマ間の調整を図るための「統括班」を置きます。

「(1)人口移動班」は、ラオス北部における過去100年の人口復元を行い、Prelic 1で実施した出稼ぎが多く見られるラオス中部の小規模社会と比較します。

「(2)生業班」は、人口動態と対応させることができるような土地利用変化を、特に集団内の権力関係や社会動態などの影響も考慮しつつ明らかにします。

「(3)食糧獲得班」は、自給自足的性格の焼畑集落において、住民生活の時空間分析(いつ、どこで、誰が、誰から、何を得たのか)から、自然環境利用と栄養摂取との関係を人口動態と関連付けて解明します。

そして「(4)家族計画班」は、Prelic 1ではほとんど分析できなかった結婚と出産について、近代化に伴う夫婦生殖空間の変容を民族の違いを考慮に入れながら出生力データとの関係から解明します。

対象地域

ラオスおよびタイの3地点で調査を実施します。「調査地1」は、ラオス北部ルアンパバーン県周辺で水田と焼畑の両方を営む地域を選定し、複数の異なる民族を対象にします。「調査地2」は、Prelic 1に引き続き、ラオス中部で自給的焼畑を営むマンコン族の集落(アランノイ村)を選定しました。「調査地3」はラオスからの出稼ぎ者が多いタイ・バンコクで調査を行います。

農林省・国立農林業研究所(NAFRI)、保健省・国立公衆衛生研究所(NIOPH)をカウンターパート機関として、現地調査に際しては、カウンターパート機関の研究員らと協同で調査を行います。